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土方歳三 燃えよ剣 (1966/松竹)

監督 市村泰一  脚本 加藤泰  原作 司馬遼太郎

シネスケ

僕は司馬遼太郎の『燃えよ剣』は読んだことがないので、なんとも言いがたいのだけど、
恐らくこれは脚色が過ぎた作品なんじゃないかなあ。

司馬の燃えよ剣はファンが非常に多い作品だし、この本で土方に惚れたという人を量産してるわけでしょ。
この映画の土方にはなんの魅力も感じないもの。


新選組を題材にした映画の宿命として、
二時間弱で複雑な新選組の結成から粛清。組織の地盤固めの過程を駆け抜けて、
クライマックスに池田屋事件をもってこなきゃいけない。

これだけガチガチの制約の中で、一本の娯楽作に仕上げなきゃいけない苦労はわかるし、
そのために投入したのが「出会ってはいけない男女の悲哀」という構図だったというのもわかる。
まとめた手腕はたいしたものだ。

しかし、この全編を通した「男と女のすれ違い」が、まことに男にとって都合よく描かれている気色の悪いものなので、一歩引いてしまってどうも入り込めない。
フィルムの奥底の深いところまで根付き、見るものに呼びかけてくるこの得体の知れないメッセージはいったいどこから来たものなのか。

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男は妻子があっては大仕事を成し遂げられんとかいうのも、もしかしたら原作にあるセリフかもしれない。
だけど同じセリフをいってもキャラの描かれ方によってだいぶ重みが違うはずで、この土方がいう「男とは」というのはなぜか軽い。

たぶんこれは、映画に込められた前時代的な家制度に根付いた男尊女卑の思想が色濃く出てしまってるからだという気がするのだ。

もちろん封建社会の末期に封建社会の権化となろうとした新選組を描くのだから、男尊女卑の思想が漏れ出ても不思議はないのだけど、この奇妙な「男尊」はそんな時代がかった風格は感じさせない。
なんというか、腰の刀をなくした男の遠吠えというか。
いや、さらには大正、昭和の男観とも違うものだこれは。

敗戦からこっち。アメリカから与えられた新しい自由主義社会の気風の中で、女性が権利をもち社会に進出してきて、
漫画サザエさんでもサラリーマンが、会社で、家で、女傑の尻にしかれるような描写が風刺を込めて描かれた。
そんな時代に作られたこの映画は、
家畜として飼いならされた男どもが、かろうじてすがっていた前時代の男優位の幻想を具現化したものではないのか。

そして映画を通じて、その精神的シンボルにしがみついてる男どもの浅ましい姿をどうしても連想せずにはいられない。

この映画が作られた時代の観客が、映画館という日常を離れた空間の中で、木戸銭を払ってまで期待したのは、いっときのナルシズムの補填。
映画から感じる「みみっちさ」はそういった観客も巻き込んだイメージとして膨れ上がってしまうのだ。

牙をとっくに無くしてしまった男衆の煮詰まったコンプレックスを反映したかのような、この涙ぐましいまでのナルシズムは、女はもとより、現代の男の目ではとても見ていられないような気恥ずかしさがある。

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先日ポール牧が飛び降り自殺で亡くなったが、
その原因はともかく、生前の人物像をみると、この映画で描かれた土方像と通ずるものを感じる。

「芸のためなら女も泣かす」というあれだ。
ポール牧は「家庭を大事にしてたら芸人は馬鹿ができない」と豪語してたそうだが、これこそ時代錯誤の「置いてきた男根コンプレックス」の反動としてでてきたみっともないいい訳だと思った。
芸を極めて家庭も省みりゃいいだけの話。
できないんだったらそもそも女も家庭も作らなきゃいいのに無責任な。

作中で土方は、猿渡佐渡守の妹という高貴な身分の佐絵に
「身分の差を俺が捨てさせてやる」といいながら、夜這いをかけるだけかけるのだが、
大事な局面では「男とはそういう生き物だ」で処理される。
お前のことは好いている、それに偽りはない。
だが男とは・・・

男はどこまでも特権階級だといわんばかりか、
「男とは・・・」という免罪符を手に入れてはしゃいでる子供のような幼稚さまで感じる。
そう考えると、この土方は「悪魔のパスポート」を手に入れたのび太かのようだ。

京都焼き討ちの計画を吐かせるときも、史実を曲げてまで池田屋の情報を握ってる人物をこの佐絵に設定した。
それは創作物としては問題ないのだけど。
「女にそこまでしなくても」という近藤に、土方は非情なまでの責めを与え、最後は優しい言葉をかける。
「俺だ。歳三がきたぞ」

女は「歳三様・・・」と気を許し池田屋の情報を教える、かくして京都は守られたのであった。

・・・・はあそうですかと。

女として生きたかっただけなのに、土方と時代に翻弄されて死んでいった悲劇のヒロイン。
そして、悲恋に負けず時代を背負っていく男。
ここで描かれたのは、男として生まれた者の宿命と、女として生まれた者の宿命。

それお前の考えた「宿命」だろと突っ込みいれる人間が、この時代のこの映画のかかっていた映画館には皆無だったろうから、まあいいんだけどね。

土方は最後に自害した女を前に
「俺が殺した・・・」と後悔するのだが、
直後に土方が
「しかし男とは・・・」と言い出しかねない、そんなヒヤヒヤするような危うさがある。

その悔恨の描写までも含めて、どこまでも悲劇に酔い、そして男の宿命に酔ったスタッフの気持ち悪いナルシズムしか感じられない映画だった。
ああキモい。

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ところで、この主演俳優、栗塚旭は、
前年放送したTVドラマ「新選組血風禄」の土方役を受けての今回の映画出演で、その後TVドラマになった「燃えよ剣」(1970)でも土方歳三を演じ、定番の土方として長らく土方像を独り占めしていた人らしい。
’04年のNHK大河『新選組!』は僕も見ていたが、
歳三の兄、土方為次郎役で出演していたそうで、そんな粋なキャスティングしてたとは気付かなかった。
by sttng | 2005-05-12 06:08 | 映画
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